校長講話等
「友愛」 平成28年度始業式講話より
「友愛」
いよいよ、新しい年度が始まります。本日午後には、入学式があり、新入生を迎えます。
年度の初めに当たり、二つほど皆さんにお話をします。
一つ目は、羽生高校の校訓の一つ、「友愛」という言葉についてです。「友愛」とは、友達と励まし合い、支え合い、思いやり協力する心のことです。そして「友愛」の根底にあるのは、「人を認める心」です。
ここに集まっている皆さんは、当然ながら、一人ひとり異なります。他者の存在と人格を認め、そこから相手の立場を考え、行動すること。「友愛」とは、お互いに尊重し合い、安心のできる人間関係に他なりません。
しかし私たちには、他人を「いじめたい」、「差別したい」という気持ちが抜きがたく存在することも事実です。これは、本来人間の心にある暗黒の部分です。では、どうしたら良いか。第一歩が「人を認める」ことであり、「友愛」の人間関係を築くことなのです。
皆さん、羽生高校の生徒として、もう一度、校訓に込められた意味を考えてください。「友愛」は校訓の最初にあります。「友愛」に続いて「自立」があり、それに続いて「飛翔」があるのです。
校訓の「友愛」。友達と励まし合い、支え合い、思いやり協力すること。原点に立ち返り、一人一人がこの言葉を大切にしてください。
(中略)
人生の「飛翔」に備え、心を拡げ、前を向きましょう。今年一年が、皆さんの「飛翔」にとって良い準備の年となるよう祈っています。
「助けてもらう力」 第46回入学式 式辞
「助けてもらう力」
式 辞
三寒四温の言葉の通りに春はやってきます。寒さと暖かさを繰り返す中で、季節は徐々にしかし確実に変わり、陽ざしは心地よく、柔らかな新芽の緑と花々に彩られる今日の季節が巡って参りました。
本日ここに、多数の御来賓の方々に御臨席いただき、埼玉県立羽生高等学校、第46回入学式を挙行できますことは、この上ない喜びであり、心から感謝を申し上げます。
ただいま呼名され、入学を許可された生徒の皆さん、入学おめでとうございます。皆さんは本日から、羽生高校の生徒として本校で学んでいくことになります。頑張ってください。
保護者の皆様、お子様の入学、本当におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。教職員一同、全力でお子様の教育に当たらせていただきます。
本校は昭和23年に設立され、今年で69年目を迎える学校であります。本校を巣立った多くの卒業生は、社会のあらゆる分野で活躍しています。また、平成10年より単位制を導入し、歴史と伝統の中に新しい学びの精神を併せ持つ学校へと生まれ変わりました。生徒一人一人は、自らの興味関心や進路実現に応じて、自分だけの時間割を作り、主体的に学ぶことができます。新入生の皆さんも、羽生高校生になったことに自信と誇りを持ち、自分の夢や目標の実現を目指し、是非、意欲ある高校生活を送ってください。
さて、ここで、是非皆さんに身につけていただきたい力についてお話しします。
1つ目は、人に助けてもらう力です。これは、他人の力を当てにすることでも、努力をしなくて良いということでもありません。皆さんが、夢や目標を実現するためには、皆さんの努力とともに、時に、周りの人の支援は、なくてはならないものです。周りの人の助けは、じっとしていて得られるものではありません。自分の努力を示し、支援して欲しいことを発信することも必要になります。
助けてもらうことは決して恥ずかしいことではありません。今、助けられたなら、これからどこかで誰かを助けてください。人を助けるとともに、人から助けられることが大切なのです。
2つ目は人から教わる力です。教わる力には、実にたくさんのことが含まれます。皆さんは若い。若さは、それだけで多くのことを吸収できる力があります。
しかし、目の前にどんなに素晴らしいものがあっても、心ここにあらずであれば、学ぶことはできません。教わる力は、皆さんが一日一日を、一瞬一瞬を大切にすることで培われていきます。
3つめは、人に感謝し、人を認める力です。羽生高校の校訓の一つに「友愛」があります。「友愛」とは、友達と励まし合い、支え合い、思いやり協力する心のことです。
ここに集まっている皆さんは、当然ながら、一人一人異なります。自分とは異なる存在を認めること。そこからスタートしましょう。それが「友愛」に通じます。
そして、皆さん、今この場にいることに対して、皆さんの力になってくれた人達に感謝してください。保護者の方に感謝してください。学ぶ心と机があること、それだけで十分幸福なのです。人に感謝する心は、やり遂げようとする決意にも繋がっていきます。人生には、様々な悩み、失敗や挫折はつきものです。悩みや、失敗、挫折こそが皆さんの人間性を豊かにしていきます。
三寒四温の後に春が訪れるように、寒さや温かさを経験して、皆さんは羽生高校の門をくぐりました。ここが皆さんの高校です。ここで3つの力を養い、未来を切り開いてください。
新入生の皆さん、「人生の時計」の話を聞いたことがありますか。これは、自分が今人生のどこにいるのかを、1日24時間の時間で考えるものです。その計算は自分の年齢を3割るだけの大変簡単なものです。
今、15歳の皆さんは、3で割ると5となります。人生の午前5時にいることになります。まだ目を覚ましていない人がほとんどでしょうか。皆さんの人生はこれから、色々な可能性のある時間が待っています。
保護者の皆様、本日から、お子様をお預かりします。本校は「単位制」という、生徒一人一人の希望や生活のリズムに合わせることのできる柔軟な教育システムをとっています。しかし、自由度が大きい反面、自己責任も負わなければならないシステムでもあります。卒業するためには、自分自身をしっかり管理できる人間となることが不可欠なのです。
保護者の皆様には、本校の教育方針をご理解いただき、学校と密接な連携をとりながらお子様の健やかな成長と卒業に向けた支援をしていただきたいと存じます。
終わりに、本日入学された皆さんが実りある高校生活を送り、大きく成長して卒業することを祈念し、式辞といたします。
平成28年4月8日
埼玉県立羽生高等学校長 田島 昭彦
「出会い」
「出会い」
それは、4月1日に赴任し、4月8日の入学式を迎えるまでの間の出来事でした。
夕方の6時半くらいのことで、辺りはすでに薄暗くなっていました。職員玄関を出て数歩、自動車の走り去る雑然とした音が溢れる中、その音は私の耳に流れ込んできました。周囲の状況とは一つだけ異質な、美しい世界を構築しようする意図のある旋律。私は自分の耳を疑いました。あり得ないことだと思ったからです。しかし、その美しい歌声とピアノの音は確かに聞こえてきます。
どこから聞こえるのか。じっと耳を澄ませました。数秒後、私はその方向をつきとめ、右頭上を見上げました。校舎4階の開いた窓から流れ出ていたのです。校舎内にいたときは全く聞こえなかったのに。私は、暫し立ちつくし、数分間じっと聞いていました。なんという素晴らしい贈り物。一瞬、緊張も疲れも忘れ、幸福感に包まれました。そして、このまさに天からもらった美しい歌との出会いに感謝しました。
その次の日、或いは2,3日経ってからでしょうか。私はもう一度この歌の贈り物をいただき、偶然の出会いに再び感謝したのです。
出会いは、私たちの周りに満ち溢れています。学校に向かう通学路に咲く花に、今日読んだ本の一節に、ふと耳にした音楽に、何気ない日常に、ほんの少しかもしれませんが、人生を幸せにする出会いが隠されています。
「出会いで大切なことは、気がつかない出会いに気がつくこと。どうすれば出会えるかということではなくて、出会っているのに気がつかないのを、どう気がつくかということである。」作家の中谷彰宏さんはそう言っています。
出会いの季節です。新しい人たち、新しい環境、新しい日常。心を開いて、周りを見渡しましょう。出会いは意識から生まれます。私たちを、ほんの少しかもしれませんが、幸福にしてくれる出会いに気づきましょう。出会いによって人は育ち、人生を豊かにしていくのです。
私も羽生高校での、すべての出会いを意識し、大切にしていきます。
(数週間後、歌の送り主にお礼を言うことができました。)
羽高だより 第110号より
「季節感じる心」
「移り気」な紫陽花が庭を彩る季節となりました。雨の滴に揺れる紫陽花は、この季節に優しい色合いを添え、心をなごませてくれます。
さて、6月になると必ず想い出す言葉があります。オックスフォード大学出版局から刊行されている英語辞書の中に、ポケット・オックスフォード・ディクショナリー(The Pocket Oxford Dictionary of Current English 略称 POD )という有名な辞書があります。「ポケット」という名が付く通り小型ですが、豊富な情報量とともに何とも言えない魅力があり、一時代を築いた辞書です。
そのPODの第5版(1969)では、6月( June )をこう定義しています。
June, n. A MONTH associated with roses & midsummer
(薔薇と真夏を連想させる月)
6月は薔薇の最も美しい月で、庭先には薔薇が咲き誇り、英国各地の薔薇園も最盛期となります。また、通例、英国の夏は5,6、7月とされ、シェイクスピア(William Shakespeare)の『真夏の夜の夢』( A Midsummer Night's Dream )も6月の話です。
私はこの季節感が溢れる定義が大好きでした。単なる「1年の6番目の月」 ( the sixth month of the year )ではない6月。景色が浮かび、香りが漂うような気がしました。それは、忙しい日常に季節を忘れがちになる自分を立ち止まらせてくれるものでした。
回りくどい話になりました。日常に季節を感じることは、今を大切にすることでもあり、慌ただしさの中で見失いがちになる自分の心を見つめなおすことでもあります。余裕を持って、毎年訪れる季節を心と身体で味わいましょう。ボタン一つで画面に情報を積み上げることをやめて、仮想世界にはない空気を思いっきり吸いましょう。
少し歩みを止めて雨の滴を肌で感じ、紫陽花の「移り気」を楽しんでみませんか。
(教壇に立っていた頃、この POD の定義を良く生徒達に話しました。6月になると一緒に想い出します。生徒達はこの定義を覚えているでしょうか。)
「選挙権の行使」
「選挙権の行使」
羽生市の選挙管理委員会からポスターが届きました。これは、選挙権年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法施行後初めての国政選挙において、10代の選挙権行使の啓発ために作成されたものです。本校の生徒もポスターの中から投票を呼びかけています。
選挙権を持つということは、政治に参加する権利を持つということです。そして選挙権を行使するということは、自分の考えを社会に伝えようとする行為です。そのためには、社会や地域の課題に一人一人が関心を持ち、問題意識を持たなければなりません。「自分一人が投票したところで何も変わらない」とか「良くわからないから棄権する」のではなく、不十分かもしれませんが、自分の力で考え、参加することが大切なのです。
これは選挙だけでなく、日々の生活の中でも培うべき大切な力です。他者の意見に耳を傾け、しかし決して他人任せにせず、できるだけ課題を多面的・多角的に捉え、責任を持って関与していく。未来を担っていく若い世代の意識こそが社会を支える原動力となるはずです。
ポスターには期日前投票についても触れられています。投票日当日に投票できない人は、是非この制度を利用してください。
「生命の大切さ」
「全校集会講話」
~生命の大切さ~
夏休みも終わり、今日から授業が再開します。8月の登校日は学年ごとでしたので、全体で顔を合わせるのは7月以来になります。久しぶりの学校という人も多いでしょう。報告を含めて、初めに少し夏休みを振り返ってみましょう。
まず、陸上部、テニス部、柔道部、剣道部、軽音楽部が全国大会に出場しました。出場するだけでも大変なことですが、入賞、あるいは大会で自己記録を大幅に更新するなど大変活躍してくれました。逆に、思うような結果が残せずに悔し涙を流した人もいました。どんな結果にせよ、参加した人達にとって全国大会での経験は大きな財産となるでしょう。今年の夏の時間、汗や涙はきっと今後の人生の糧となるはずです。
これは、全国大会だけでなく、校内で汗を流していた皆さんにも当てはまります。部活動や進路、補習等のために登校していた皆さん。何度か皆さんの真剣な姿を見せてもらいました。また、生徒会の皆さんは、合宿をして勾玉祭の準備に取り組んでくれました。
そして、学校から離れて頑張った人もいるはずです。自分しか分からない頑張り、それも大切なことです。皆さん自身の夏休みを振り返ってみましょう。
次に、皆さんにお願いを含めて別の話をします。
夏休みの間、「他人を傷つける」という行為が原因となって、皆さんと近い年代の人達が命を落とすという痛ましい事件が複数ありました。
残念なことですが、人は無意識のうちに他人を傷つけてしまうことがあります。しかし、少なくとも意図的に他人を傷つけることはあってはなりません。「~だから」と暴力やいじめの理由をつけることがありますが、どんな理由であれ許される行為ではないのです。
もう一つのお願いは、もし悩んでいることがあれば、決して一人では抱え込まないということです。「助けてもらう力」のことは以前お話ししました。皆さんの周囲には、皆さんが気づかない「助けてくれる力」が必ず存在します。他人に悩みを告げることは、決して恥ずかしいことではありませんし、迷惑なことでもありません。人生の中で、今「助けてもらう」ことにより、いつか「他人を助ける」ことができるようになります。そして、何より、皆さんは一人ひとり価値ある存在であり、援助を受けるに値するのです。
生命は受け継がれ、そして大切に受け継いでいくもの。皆さんの生命の中には、たくさんの思いが込められています。自分の生命を大切にするとともに、他人の存在を尊重することのできる人になって欲しいと願っています。
(一部改)
未来を拓く「学び」プロジェクト後期公開授業
未来を拓く「学び」プロジェクト後期公開授業
埼玉県教育委員会では、生徒一人ひとりの主体的な学びを実現するため、平成22年度から東京大学の大学発教育支援コンソーシアム推進機構(CoREF)と連携し、「知識構成型ジグソー法」の手法を用いた協調学習による授業づくりに取り組んできました。平成24年度からは「未来を拓く『学び』推進事業」、そして平成27年度から平成31年度まで「未来を拓く『学び』プロジェクト」として研究・実践を継続し、発展させています。
本校でも、昨年度この「未来を拓く『学び』プロジェクト」事業開発校の指定を受け、9名の研究開発員の先生が中心となって新しい授業づくりに取り組んでいます。10月5日(水)には、公開授業並びに研究協議も予定されています。生徒自らが主体的に学び、思考力・判断力・表現力の伸長を図り、深い学びへ近づこうとする様子を多少なりとも感じていただけると思っています。是非、羽生高校にお越しください。多数の先生方に御覧いただければ幸甚です。
また、このプロジェクトには、「協調学習」に加え、アクティブラーニングの年間指導計画への位置づけに関する研究や、「協調学習」と「反転学習」の融合、「協調学習」における「ICT活用」、開発教材のデータベース化の推進等も含まれています。本校でも、アクティブラーニング用教材の共有や「反転学習」研修会への参加等、積極的にこのプロジェクトを活用しています。
未来はどうなるかわかりません。しかし、「拓く」という文字には、知恵や努力によって創造し工夫することで現在の殻を破り、未来の可能性を拡げるという意味が込められています。私達教育に携わるものは、生徒達の明るい未来を「拓く」ことを常に忘れずにいたいものです。
「人の繋がり」
「人の繋がり」
本校は昭和23年に不動岡高校羽生分校として開校し、昭和42年の分離独立、46年の県立移管等を経て、今年度創立69年目を迎えました。
この間、約5千名の卒業生を送り出していますが、同窓会組織は「学友会」という名称で、毎年6月に総会を開催しています。今年も、分校で学ばれた方と一緒に、最近卒業した若い世代が参加してくれました。一階の廊下に部活動の記録が掲示してあり、夏の定通全国大会参加記念の写真もあります。その写真の中の卒業生達です。
世代を越えた「学友会」の交流を拝見しながら、私は人の繋がりを実感していました。
人は見えないところでも繋がっています。現在の生徒の皆さんも、同世代の仲間だけでなく、卒業生した先輩、これから後輩となる世代、過去から現在、未来に渡り、羽生高校に関係のある全ての人達の輪の中にいるのです。
皆さん、人の繋がりを意識しましょう。それは、今の自分と今の生活を大切にすることであり、同時に他人を大切にすることでもあります。
今年度も文化祭に歴代の卒業アルバムの展示を計画しています。たくさんの卒業生や保護者の皆様に御覧いただければ幸甚です。
『まがたま』 第75号より
「文化祭を創る」
「文化祭を創る」
いよいよ第48回「勾玉祭」が始まります。今まで、勾玉祭実行委員会を中心にテーマを決定し、各団体が企画や運営に知恵を絞り、工夫や調整を重ねてきました。一つひとつ積み上がり、形となっていく様子には、まさに「創る」という言葉がぴったりです。
さて、文化祭の「楽しさ」とは何でしょう。お客として参加すること。もちろんそれも「楽しさ」です。
でも、もう一つあります。それは「創る」楽しさです。最初から最後まで、自分が主体となって、考え、行動し、創り上げる楽しさ。「文化祭」を待ち焦がれる生徒達が共通して感じているものの一つに、この「創る」楽しさがあります。そして「創る」中に、充実感や感動があり、苦しさや挫折感も同居します。
勾玉祭においでの皆様、本校の「文化祭」を満喫してください。同時に、開催する側の「楽しさ」という観点からも見ていただけると違った勾玉祭が見られるかもしれません。
「今を大切に」
「今を大切に」
今日は、「今を大切にする」ことについて話をします。良く耳にする言葉ですが、今回の話は、「今が皆さんの将来の基礎を築く時だからしっかり頑張りなさい」とか、「将来に備えて準備しなさい」という類いの話ではありません。もちろん、それも大事なことですが・・・。皆さんに大切にしてほしいと考える「今」とは、もっともっと目の前の日常です。
高校は人生の通過点に過ぎません。そして、私達は人生の通過点を2度と訪れることができません。今年の高校生活は、人生でもう2度と味わうことができないのです。今しかできないことは、もう2度とできないことなのです。しかし、ここで「思い」、ここで「行動した」ことは、皆さんの心の中にずっと生きていくかもしれません。
眠い目を擦りながら、なんとか頑張って授業を聴いている。クラスメイトと一緒に文化祭の準備に走り回る。重い荷物を持って登校する。先生に進路の相談をする。部活動で汗を流す。友達の他愛もない話に笑い転げる。
何気ない高校生活の日常を、しかし「今」しか味わうことのできない生活を一つひとつ大切にして、向き合っていく。決して背伸びすることはなく、周りにいる人達と高校生活を享受していく。「今を大切にして」ほしいとはそういうことです。
先を急ぐ必要はありません。人生にはその時々に「旬」なことがあります。皆さんにとって、今は「高校生活」が「旬」なのです。学校の中で「笑い」、「汗を流し」、「涙を流し」ましょう。今を大切にして生きること。それが、今後の人生を豊かにしていくでしょう。
前期終業式 校長講話より抜粋
「振り返る」
「振り返る」
まもなく平成28年も終わります。テレビやウェブ上では、今年一年を振り返る企画が始まっています。羽生高校の平成28年を振り返ってみますと、軽音楽部、陸上部、テニス部、柔道部、剣道部の全国大会出場や、文化祭、駅伝大会での皆さんの頑張り等、大変有意義な年であったと思います。
この「振り返る」という行為は、時代や世相だけでなく、一人ひとりが立ち止まって自分自身について行うことが大切です。どうしてか。
『論語』の中に、「吾日に吾が身を三省す」という一節があります。三省堂という出版社の由来となった言葉ですが、「私は毎日、何度も何度も自分を省みて、誤りに気付いた時にはこれを改めている」という意味です。これは、言うまでもなく重要ですが、実は「振り返る」理由はこれだけではありません。今日は、別の理由を考えてみます。
「振り返る」最初の理由は、「忘れないため」です。
うまくいかなかったこと、諦めたこと、途中で終わりにしてしまったこと、これからもう一度試みることを「忘れないため」に「振り返り」ます。
二つ目の理由は、「確かめるため」です。
頑張れたこと、うまくいったこと、新しい友達ができたこと、一緒に笑う仲間がいること、支えてくれる人がいること、一人ではないことを確かめるために「振り返り」ます。
三つ目の理由は、「自分を認め、褒めるため」です。
先ばかり見つめていると、心が重くなります。自分が成長していないと感じたり、これから何をしてよいかわからず、先を見ることが容易でないときも、立ち止まって後ろを振り返ると、ここまで頑張ってきた自分が見えるものです。
ここで、もう一つ。「振り返る」上で大切なのは「ゆっくり振り返る」ということです。そうすることで、出来事と一緒に「気持ち」が甦ってきます。うまくいかなくても頑張ろうとしていた気持ち。どきどきしていたこと。辛かったけど前を向こうとした決意。嫌になってしまった気持ちさえ、皆さんのこれからの糧となります。
新しい一年を迎える前に、一人ひとり目を閉じて、この一年間を振り返ってみてください。何ができましたか。何ができませんでしたか。頑張れたことは何ですか。頑張れなかったことは何ですか。自分自身を振り返り、自分自身を褒めてあげましょう。それが、先に進む力にもなります。
全校集会 校長講話より抜粋
「心に残したい話」
「心に残したい話」
今日は、新聞やウェブ上に掲載された埼玉県の高校生のエピソードを紹介します。
自転車で通学している湯本さんは昨年12月21日夕方、鴻巣市屈巣の県道を通りがかった際、新聞紙や折り込みチラシが半径約3メートルにかけて大量に散乱しているのを目の当たりにした。一度はそのまま通り過ぎたものの、「何もしていない自分に辛くなった」と戻って来た。
当初は古紙を自転車の前かごに積んで自宅に持ち帰ろうとしたが、収まり切れない。約500メートル離れたコンビニエンスストアへ行き、ごみ袋を買って戻り、再び拾い集めた。現場は交通量の激しい通り。湯本さんは青信号になるたびにひたすら拾い続けた。
午後5時20分ごろ、同署に「女子高生が落とした荷物を一人で拾っている。かわいそうだから助けてほしい」と連絡が入った。署員が駆け付けると、すでにごみ袋3袋分、計10キロの古紙が回収されていた。持ち帰り方法を考えていた矢先に署員が到着。安心した湯本さんの目からは涙が流れた。
高校ではバスケ部に所属している湯本さん。学校周辺のごみ拾いなど美化活動をしてから朝の練習に取り組んでおり、「学校でもやっているので当たり前と思って拾いました」と振り返った。
市村知孝署長から感謝状を贈られ、湯本さんは「周りの事をもっと見られる一年にしたいです」とほほ笑んだ。
皆さんは、この話から何を感じますか。この生徒の行為は、しようとしてもなかなか真似できるものではありません。しかし、たとえ同じようにできなくても、他の人の善行を目にしたり、耳にした時、何を思うか、それは大変大切なことです。
いいものはいい、そう正面から感じる心を持ちたい。素直に感動する心でありたい。今日、皆さんに伝えたいのは、まさにこのことです。
心温まる行為や言葉に触れる機会は必ずあります。その時に、素直に温かさを感じてほしい。そして、願わくば、ずっと忘れないでいてほしい。
年頭にあたり、私自身がこの話を忘れないためにも皆さんに紹介しました。
全校集会 校長講話より抜粋
(記事:埼玉新聞H29.1.6より)
「親」
「親」
卒業生の皆さん、御卒業おめでとうございます。保護者の皆様、お子様の御卒業に際し、心よりお祝い申し上げます。在学中は、御心配もおありだったかもしれませんが、いよいよ巣立ちの日を迎えたお子様の姿には感無量かと拝察いたします。
少し前になりますが、ある保護者の方とお話をする機会がありました。お子様の進路への揺れる思いに、居ても立ってもいられない気持ちを率直に語っておられました。
子供の意思を尊重してやりたい、でも親の気持ちも伝えたい。背中を押してやりたい、でも押し過ぎてはいけない。子供が悩んでいるように、親も子供に悟られないように葛藤しています。子供の前では「格好いい」親でありたいのです。
語源とは別な話ですが、漢字の「親」という文字は、「木」の上に「立」って「見」ると書きます。上からでは、下にいる者を無理矢理に木に登らせることはできません。登ろうという意思を待ち、登り始めた時に初めて手を差し伸べることができる。
飛び立つ子供を見送る親の思いには、大きな喜びもある反面、切なさも同居するものです。
『まがたま』 第76号より
「拝啓」 ~卒業〇〇年後の皆さんへ
「拝啓」
~卒業○○年後の皆さんへ
拝啓
お元気ですか。卒業から何年経ったでしょうか。今はどんな生活を送っていますか。
仕事に就いた人、順調ですか。最初はわからないことばかりだったでしょう。今までとは全く違う勉強が必要だったのではないですか。同世代の集まりだった学校とは違う環境の中で、戸惑うことも多いでしょう。いろいろなことを、周りの人達の支え、そして何より自分自身の努力で切り拓いたのだと思います。
まだ、大学や専門学校で学んでいる人もいるでしょう。専門的に随分難しくなっているでしょう。先生方も、もう皆さんの質問に答えることはできません。自分の可能性を信じ、将来のためにたくさんのことを吸収してください。
仕事に就いている人も、大学等で勉強している人も、対象こそ違え、人の一生は「学ぶ」ことの連続です。「学ぶ」ことは常に私達の周りにあり、人は「学び」の中で成長し、未来を拓いていきます。
皆さんは、高校時代のことを想い出しますか。文化祭では、生徒会を中心に、皆さんの力が一つとなりました。昼間部では、工夫を凝らした模擬店や展示等にクラスの力の結集を感じました。夜間部の花飾りのモザイク壁画は、文化祭の雰囲気を創るうえで最高の演出になりました。
駅伝大会では、アンカーがゴールしたときに、仲間が駆け寄り健闘をたたえ合っている姿が感動的でした。遠足や修学旅行も忘れられない思い出でしょうね。部活動では5つの部が全国大会に出場しました。
あの時、羽生高校は皆さんの「高校」でした。そして、早春のあの日、皆さんは羽生高校を巣立ち、新しい世界へと飛び立ったのです。もし、高校時代が懐かしくなったら、羽生高校を想い出してください。でも、皆さんは常に未来を見つめなければなりません。これから先は、学ぶ心と机のあるところ、それが皆さんの高校です。御多幸を祈念します。
敬具
『 翔 』 第26号より
「柔軟に生きる」第47回卒業式式辞
「柔軟に生きる」
第47回卒業式式辞
羽生高校の69回目の冬が過ぎ、70回目の春が訪れようとしています。校舎に注ぐ陽の優しさと、校庭を駆け抜ける風の香りに春の息吹を感じるこの佳き日に、多数の御来賓並びに保護者の方々に御臨席いただき、埼玉県立羽生高等学校、第47回卒業証書授与式を挙行できますことは、この上ない喜びであり、心から御礼を申し上げます。
ただ今、卒業証書を授与しました皆さん、卒業おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
皆さんは、期待と不安が交錯する中で、「友愛 自立 飛翔」という校訓に初めて迎えられた日のことを覚えていますか。以来、日々の授業、行事、そして部活動などをとおして、互いに励まし合い、支え合う「友愛」という優しさと、自らの意思でやり抜く「自立」という強さを身につけました。いよいよ「飛翔」の時がやって来ました。新たな出発に、期待と不安が再び交錯しているかもしれません。
これからは「答え」のない時代に突入します。社会の変化はかつてないほどの速度であり、今日学んだ知識が明日通用するかどうかはわかりません。例えば、人工知能の発達は、これからの時代を生きる人間が行うべきことを根底から変えようとしています。首都圏を襲う大地震は、人生の予定表に書き込んでおかなければならないとも言われています。こうした不確かさの中で、時代を柔軟に生きることが求められています。
柔軟に生きることを、私達はどう捉えたら良いのでしょう。3つの観点から話をします。
まず、必要なことは、変化を恐れないということです。20年前、インターネットと携帯電話はほとんど普及していませんでした。10年前にはスマホという言葉はありませんでした。キャシー・デビットソン氏の「2011年にアメリカの小学校に入学した子どもの65%は、大学卒業時に今はない職業につくだろう」という予言は、世界を駆け巡りました。
古い言葉があります。「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。」
生物学者ダーウインが『種の起源』の中で述べた言葉です。
もちろん、これは生物学上の理を述べたものであり、人間社会にそのまま適用すべき言葉ではないかもしれません。しかし、変化は必ず訪れます。しかも、これからの100年の変化の速さは、今までの2万年に匹敵するとも言われています。
必要なことの2つ目は、進んで他者から学ぶことです。自分の考えや意見を表明できることは大切です。しかし、常に他者の意見に耳を傾け、学ぶ姿勢を持たなければいけません。一人で辿り着ける、導き出せる「答」は、一人の経験や思考によるものでしかありません。私達の一生は、教えられ、学ぶことから始まります。そして、他者から学び続けることにより、私達は常に成長していくのです。
偏見なく人を、物事を見つめましょう。自分より若い人からも、経験の浅い人からもたくさんのことが学べるはずです。「自分で考えること」と「他者から学ぶこと」は、皆さんの人生を支える両輪なのです。
3つ目は、柔軟に生きようとすることで陥りやすい落とし穴についてお話します。
「答え」のない時代においては、「答え」を出すよりも「問い」を見いだすことが重要だと言われます。確かに、「答え」でなく「問い」を見いだすことは主体的な生き方に通じます。単なる知識だけでなく、真に必要な知恵を身につける上で不可欠なことでしょう。
「問い」立ての大切さを十分承知した上でお話しします。「問い」立てすることに縛られないでください。「問い」は言い換えれば「課題」とも言えます。学校のカリキュラムでも、これからは、自ら「課題」を見出す態度を育成することが重要だと言われています。ここでは、「欠点」という言葉に置き換えると、わかりやすいかもしれません。
「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、「課題」の解決や「欠点」の克服ばかりに心を奪われていますと、大事なこと、何より「良さ」を見失います。マイナスの改善は確かに大切でしょう。しかし、プラス面を見つめることを忘れてはいけません。皆さんの大切な心を、「課題」を解決することだけに使ってはいけません。「課題」を解決すれば、「欠点」を克服すれば、魅力的な人間になれますか。豊かな生活を送れますか。それはわかりません。是非覚えておいてください。「良さ」を伸ばすことは「欠点」を克服する以上に大切な時があります。
「変化を恐れない」ことや「他者から学ぶ」ことは、決して他に迎合することではありません。「柔軟に」生きようとすることで自分を見失ってはいけません。卒業生の皆さん、羽生高校で培った「友愛の優しさ」と「自立の強さ」を持って時代を生き抜いてください。
保護者の皆様、お子様の御卒業、誠におめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。本日の卒業を期に、お子様が新しい社会で空高く飛翔されますことを御祈念申し上げます。また、今日まで、本校に対して心温まる御支援御協力をいただきましたことを深く感謝申し上げます。
最後に、生徒会誌に掲載しました数年後の卒業生の皆さんに宛てた手紙を読み、式辞の結びといたします。
平成29年3月13日
埼玉県立羽生高等学校長 田島 昭彦
(一部改)
「結果と成果」平成28年度後期終業式講話
「結果と成果」
過日、ロサンゼルスで行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシックで、日本チームは準決勝で強敵アメリカと互角に渡りあいながらも惜敗しました。2大会振りの世界一返り咲きはなりませんでした。
試合後、小久保監督は「勝てなかったのは事実。評価は周りがすることだと思う」というコメントを残しています。
さて、皆さんは、今大会での日本チームをどう評価しますか。評価する、評価できない。様々な意見があることでしょう。
小久保監督は、「失敗したら、もう指導者としてユニフォームを着られなくなる」という恐怖心から、就任要請を受けるか否か迷ったそうです。その危険を承知して引き受けたのは、サッカーのように子供たちが憧れる日本代表チームをつくり、野球界を発展させたいとの思いからだったと述懐しています。それまで代表チームは、大会が開かれる年の、しかもシーズンオフの時期にだけ招集されている単発チームでした。約3年半前、選手が毎年招集される常設の日本代表チームが生まれ、彼はその最初の監督でした。指導者としては初心者でしたが、シーズン中に、候補の選手全員と一対一で代表の意義と本人の意思を確認することで信頼関係を築き、チームとしての結束力を高めることに奔走します。
今大会、決勝進出を逃したことを考えれば、結果を残せなかったと言えるかもしれません。しかし、常設チームという新しい試みにより大きな成果を残しています。それは選手の言葉にも表れていました。
今年のワールド・ベースボール・クラシックに向けた日本代表チームの3年半の物語は、そのまま私達の日常にも通じます。
満足のいく結果を残し目標を達成するときもあり、残念な結果に歯噛みするときもあるでしょう。部員数が揃わず、出場そのものを断念したチームがあるかもしれません。「勝つ」あるいは「負ける」という結果は確かに大きな要素です。しかし、結果にはそこに至る過程があり、最善を尽くす過程の後には、結果の如何にかかわらず、成果が生まれます。結果と成果は違います。
私達は、往々にして結果のみを追い求めます。どうか、皆さん、まず過程を大切にして下さい。団体スポーツであればチーム作りに腐心し、受験であれば一人で勉強に取り組んだ過程は、例え結果が伴わなかったとしても、それ以上の成果となって皆さんのこれからを支える力となっていきます。結果は過去に残り、成果は未来に生きます。努力した過程で得られた成果は、今後の皆さんの人生の節目で必ずや生きるでしょう。
平成28年度後期終業式 校長講話より
「人生のドア」平成29年度入学式校長式辞
「人生のドア」
平成29年度入学式 校長式辞
桜の花びらがひかりに揺れ、風が香りを運び、季節が新たな出発を祝うこの佳き日に、多数の御来賓の方々に御臨席いただき、平成29年度 埼玉県立羽生高等学校 入学式を挙行できますことは、この上ない喜びであり、心から感謝を申し上げます。
ただいま呼名され、入学を許可された生徒の皆さん、入学おめでとうございます。皆さんは本日から、羽生高校の生徒として、本校で学んでいくことになります。保護者の皆様、お子様の入学、本当におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
本校は昭和23年に設立され、今年で70年目を迎える学校です。校訓は、「友愛 自立 飛翔」です。「友愛」とは、お互いに励まし支え合い、協力する心のことです。「自立」とは、自分自身の力で物事を切り開いていくことです。そして「飛翔」とは、空高く飛び駆けることです。
「友愛」の中で優しさを育み、「自立」という滑走路を経て、自分の夢や希望に向かい「飛翔」する。この3つの言葉は本校の教育活動の道標であり、生徒の皆さんの充実した高校生活への願いが込められています。
今、皆さんは、新しい生活に、期待と同時に不安を感じているかもしれません。出発に際し、あるドイツの高校生が人生の転機とした言葉を紹介します。
「人生にはドアが沢山あります。ドアの後ろには何があるか分からない。それが怖いと思うかもしれませんが、好奇心を持って、好きなドアを開けてみてください。素敵なことが後ろにあるかもしれません。ドアの後ろに嫌なことがあったら、一歩下がって、そのドアをまた閉めてもいいんですよ。」
彼女は、一つの失敗を人生の失敗だと感じ、臆病に首をすくめ現実から逃げ出したいと考えていました。そんな時、ある英語教師から聞いた「いろいろなドアを開けてみなさい。間違ったら閉めてもいいんですよ」という言葉は、逡巡を素直に受け止め、失敗を肯定的に捉え、前に進むきっかけとなったのです。不安に立ち向かう勇気をもらったのです。
当時17歳であった彼女は、この言葉に背中を押され、古いドアを閉めて、新しいドア、日本への留学に踏み出します。「幸せを探す勇気をもてた」という彼女の言葉が印象的です。
思ったとおりの人生が果たして楽しいでしょうか。人生には、様々な悩み、失敗や挫折はつきものです。悩みや、失敗、挫折という紆余曲折こそが皆さんの人間性を豊かにし、人生を人生たるものにします。精神科医で随筆家であった斎藤茂太(さいとうしげた)博士は「人生に失敗がないと人生を失敗する」という言葉を残しています。
ドアの前で立ち止まってはいけません。不安は新しい可能性の始まり、自立への第一歩なのです。三寒四温の後に春が訪れるように、寒さや温かさを経験して、皆さんは羽生高校の門をくぐりました。すでに一つ新しいドアを開けています。自信を持って、勇気を持って、失敗を恐れずに未来を見つめてください。皆さんの人生はこれから、いろいろな可能性のあるドアが待っています。
保護者の皆様、本日から、お子様をお預かりします。本校は「単位制」という、生徒一人一人の希望や生活のリズムに合わせることのできる柔軟な教育システムをとっています。授業によって、クラスメートも異なります。他の高校であれば、クラスで一緒に行動し、学校生活はレールに沿って進んでいくかもしれません。しかし、本校では、自由と責任の意味を理解し、自分で判断して、自己管理しなければなりません。卒業に至る道程(みちのり)は一人ひとり異なります。校訓の2番目に「自立」がある所以です。
保護者の皆様には、本校の教育方針をご理解いただき、学校と密接な連携をとりながらお子様の成長と卒業に向けた支援をしていただきたいと存じます。
終わりに、本日入学された皆さんが高校生活をとおして大きく成長し、卒業の春に、心地よい光と暖かい風を体いっぱいに感じてくれることを祈念し、式辞といたします。
平成29年4月10日
埼玉県立羽生高等学校長 田島 昭彦
「人生のドア(2)」 平成29年度前期始業式講話
「人生のドア(2)」
平成29年度前期始業式講話
今、新しい先生方を紹介しました。午後には、皆さんの後輩が入学し、いよいよ平成29年度が始まります。今日の入学式では、「人生のドア」の話をする予定です。
これは、あるドイツの高校生が一つの失敗を人生の失敗と感じ、臆病に首をすくめ現実から逃げ出したいと考えていたときに、英語教師の言葉に、前を向いて不安に立ち向かう勇気をもらった話です。
その言葉とは、「人生にはドアが沢山あります。ドアの後ろには何があるか分からない。それが怖いと思うかもしれませんが、好奇心を持って、好きなドアを開けてみてください。素敵なことが後ろにあるかもしれません。ドアの後ろに嫌なことがあったら、一歩下がって、そのドアをまた閉めてもいいんですよ。」というものでした。
当時17歳であった彼女は、この言葉に背中を押され、古いドアを閉めて、新しいドア、日本への留学に踏み出します。「幸せを探す勇気をもてた」という彼女の言葉が印象的です。
さて、新入生の話とは、ここからが違います。皆さんには一歩踏み込んでお話しします。
彼女は「探す勇気」と言っています。「ドアを開ける勇気」と置き換えることもできます。ここはとても大切なところです。なぜなら、確かに、人生にはドアはたくさんあります。でも、自動ドアはないからです。ドアは自分で開けなければいけません。
指揮者の佐渡 裕さんは、小学校の文集に書いたベルリンフィルの指揮をするという夢を実現したとき、「夢への扉は勝手に開くものではないし、先生や親が助けてくれるものでもない。自分で開けないといけないのです」という言葉を残しています。そして、それは目の前の小さなことから逃げないところから始まると続けています。
夢や希望を叶え、未来を拓く魔法はありません。彼の言葉のとおり、学校生活でも、仕事でも、人間関係でも、目の前にあることに、正面から向き合うことがドアを開ける力になります。いつまでも古いドアを見つめ、新しいドアに背を向けていてはいけません。小さくても新しいドアに手を伸ばし、そのドアを自分で開ける。そのためには、目の前の日常に、常に真摯でなければなりません。自分で開けたドアだからやり直しができるんです。 (抜粋)
「100年ロマン」
「100年ロマン」
昨年、東京大学の 梶田隆章 博士による「ニュートリノの質量の発見と神岡の基礎科学研究」と題する講演をお聞きする機会に恵まれました。博士は、ご存じの通り、ニュートリノ振動の発見により、2015年にノーベル物理学賞を受賞されています。
博士の話は、学生時代の想い出に始まり、研究者として携わった「カミオカンデ実験」へと続きます。ニュートリノは素粒子の仲間で、大きさ、質量とも想像できないほど小さな存在で、地球を簡単に突き抜けてしまうこと。岐阜県神岡町からその名を取った「カミオカンデ」で行った陽子崩壊実験が偶然にニュートリノ振動の発見に繋がったこと。実験は「スーパーカミオカンデ」に引き継がれ、1998年にニュートリノ振動の観測結果を発表したことなど、研究者としての喜びが聞く側に直接響いてきました。さらに、話は、「アインシュタイン最後の宿題」へと拡がります。アインシュタインが100年前にその存在を予言し、後世に検証が託された重力波が昨年ついに観測され、一般相対性理論の正しさがあらためて確認されると同時に「重力波天文学」が夜明けを迎えたこと。ニュートリノと重力波により人類は宇宙創世の謎を解く鍵を手に入れたこと。物理学の素人にも分かりやすく興味がつきない話で、とても楽しそうな、時々夢見がちな博士の表情が印象的でした。
前置きが長くなりました。博士の後半の話ではありませんが、実は、私自身も、世界を駆け巡った重力波観測に関するニュースに胸を躍らせた1人です。その時の感想も含め話を続けますが、退屈な部分は読み飛ばしてください。
重力波とは、時空の歪みを伝える波です。質量を持った物体が存在すると、それだけで時空に歪みが生じ、重ければ重いほど、その歪みは大きくなります。さらにその物体が運動することで、空間の歪みがさざ波となり伝わっていきますが、そのさざ波自体のことです。
重力波の振幅は人工的に作り出して観測することが不可能なほど小さく、波源は天体現象にのみ期待されています。昨年、世界で初めて観測された重力波は、地球から約13億光年彼方の場所で、2つのブラックホールが衝突したときに生まれたもので、2人の人間が1メートル離れて座っているところを通過すると、2人の距離が、10の21乗分の1メートル変化します。小さすぎてピンときませんね。
ニュートリノや重力波といった想像もできないほど小さな世界が、途方もなく大きな宇宙の謎に繋がっている。どうやら、大きな世界の創造は小さな世界の探索から始まるようです。一見関係ないことが実は、深いところで結びついている。これは、科学の世界だけではなく、何かいろいろなことに共通していませんか。ずっと彼方にある大きな夢を叶えるためには、手元にある小さな目標を達成していくことが必要なように。
もう一つ、「信じる力」の凄さを感じませんか。アインシュタインの予言を信じ、100年におよぶ壮大な探しものは続けられました。一般相対性理論の発表は1916年。まさに宇宙をめぐる100年ロマンです。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニとカムパネルラの旅は、不思議な時空異動を経験しながら、南十字星に向かいます。途中、2人がアルビレオ観測所の近くで、検札を受ける場面があります。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。
(中略)
すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」
ジョバンニが眠りから覚めると、一晩かけた天の川銀河の旅も、地上では僅か45分間のことでした。相対性理論に基づけば、物体の速度や、重力の影響を受けた空間の歪みにより、時間の進み方も変わります。宮沢賢治もまた、遙かな宇宙に想いを寄せ、ロマンを見いだした人でした。『銀河鉄道の夜』も100年ロマンと繋がっているのですね。
(羽高だより 第114号より)
「自ら学ぶ楽しさ」「ともに学ぶ喜び」
「自ら学ぶ楽しさ」
「ともに学ぶ喜び」
本校は、生涯学習機関として地域に貢献するとともに、開かれた学校づくりの一環として、一般の方を対象に特別講座を開設しています。今年も「実用の書」、「ワード入門」、「生活の中の科学」の三講座が始まりました。
開講式では、昨年度、修了書をお渡しした方のお顔を多数拝見できました。誘い合って今年も受講してくださったようです。
再度の受講理由をお尋ねすると、「とても楽しかったから」という答えが返ってきました。そしてお互いに顔を見合わせた時の笑顔の素晴らしいこと。特別講座を通して新しい友人もできたとのことでした。
学ぶことは、本来大変楽しいものですし、学びたいという欲求は、何にも代えがたいものでしょう。また、学校は、一緒に学びあう喜びを味わうことのできる場所でもあります。「自ら学ぶ楽しさ」や「ともに学ぶ喜び」は、一度学舎を離れたからこそ、より実感できるのかもしれません。
勉強することは、学生だけの特権ではありません。年齢や経歴に関係なく、私達すべてが生涯を通して享受すべきものです。保護者の方も是非、本校の特別講座に御参加ください。