改めまして、皆さん、おはようございます。 (こんばんは。)
終業式に先立ちまして、全国高等学校定時制通信制生徒生活体験発表会埼玉県東部地区大会に出場した3人の生徒の皆さんに、表彰としてメダルの授与を行いました。大会当日は、私もホールに出向いて客席で発表を聞かせてもらいましたが、皆さん、たいへん素晴らしい内容でした。東部地区の代表として県大会に進む人もいます。このような努力する姿を生徒の皆さんに見せてもらえることは、校長として本当に嬉しいことです。
また、先日は、生徒会の皆さんが勾玉祭に向けてオリジナルTシャツ販売の受付をしたり、当日に流す動画を撮影したりしている姿も見せてもらいました。そうした一つひとつが、私にとって楽しく嬉しい場面でした。若者が頑張る姿や成長する姿を目の前で見ることができるのは、大人にとって、とても幸せなことです。
今回の終業式も画面を通してのものとなりました。早く皆さんと一緒に大きな声で校歌を歌いたいと、心から思っています。
さて、皆さんが今聴いた校歌の作詩者である宮沢章二さんは、羽生市の出身です。知っている方も多いと思いますが、東日本大震災のとき、ACジャパンのCMで「行為の意味」という詩の一節が紹介され、全国的に有名になりました。もともとは次のような詩です。
行為の意味 宮沢 章二
あなたの心はどんな形ですかと
人に聞かれても答えようがない
自分にも 他人にも心は見えない
けれどほんとうに見えないのであろうか
確かに心はだれにも見えないけれど
心づかいは見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の思いは見えないけれど 思いやりは見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
「心」も「思い」も、初めて美しく生きる
それは 人が人として生きることだ
皆さん。私も含めて、若いうちは形式的なことに反発して、「形を整えることなどに意味はない。人間の内面を評価しろ。心を見てくれ。」などという格好いい台詞に憧れるものです。
しかし、この詩にあるように、心は見えません。「本当は、俺は優しいんだ」と言っても、人に優しくしない人は、優しい人だと思ってもらえません。
情けない話ですが、私も中学生のときなどに、親から「宿題は?」と言われて、「今やろうと思っていたのに、そんなこと言われたから、やる気がなくなっちゃったよ」などと反発したことがありました。今、冷静に考えると、そのときの私は、ただ口先だけの怠け者でした。
今、私は日本的なものが好きになって、ある武道や茶道などを嗜んでいますが、「形に表れる心」というものに触れることが、とても素敵な、自分にとっての大切な体験や思い出になっています。
さて、皆さん。今日で前期が終わります。短い秋期休業をはさんで、後期が始まります。前期の自分の高校生活が自分の思うように上手くいった人も、そうでなかった人も、どうか、ぜひ、その原因を考えてみてください。振り返って、何が良かったのか、何が悪かったのか、考えてください。
もし、上手くいかなくて元気がなくなっているようなら、あなたの心に中にある良いものを、どんな小さなことでもいいから、形にしてみてください。行いにしてみてください。それは、あなたの命をより良く使うための、第一歩です。高校生としての限られた貴重な時間を大切にする、第一歩です。そして、ものごとを形にするときや、行いとして誰かに働きかけるときには、相手を大切にするためのきまりごと、傷つけないようにするためのルールがあります。自分勝手にならないための、きまりです。自分の独りよがりな行いを、相手に押しつけないようにするための、きまりです。
皆さん。命と、時間と、きまりを、大切にしましょう。
人間は完璧ではありませんから、誰にでも、うまくいかないことは山ほどあります。しかし、その原因をよく考え、対策を行動に移せば、人は成長します。逆に言えば、悪いところが見つかるのは、良くするためのチャンスなのです。失敗をしないと、どこが悪いのかわかりません。
とすると、人間は、何かを成功させるためには、まず失敗をしないといけないのかもしれません。昨年のこの機会にも同じことを言いましたが、「失敗は成功の母」どころではなく、「失敗は、成功の必要条件」と言うこともできるかもしれません。
だから、皆さん。失敗したことで自分を責める必要はありません。なぜそうなったかを、ちゃんと考えればいいんです。次にうまくいくようにするための、ヒントにすればいいんです。
命にかかわるような取り返しのつかないことでなければ、失敗を悩み続ける必要はありません。色々なことをしっかり考えて、考えた分だけ成長して、今年度の後半を、より良いものにしていきましょう。